経営者の悩みはこうした一種の情報過多現象に対するアレルギーによるところもあるようだ。前述のように仮説とは現時点で最良と思われる結論であるから、正しい分析の積み重ねによって導きだされなければならないが、少なくとも最初に設定された仮説は情報が少ないために、仮に設定された結論という側面もある。
そのため、この仮説を検証してあるべき姿により近づけるために、経営計画が実施されその結果を検証することでより妥当な結論を見出すというサイクルが構築されるのである。言い換えれば、仮説がない場合は手当たり次第情報を収集し、分析を行うが何のために分析を行うかが不明確では結論に辿り着くことなどできるはずがない。
例えば、消費者動向を分析する場合でも、ある仮説を持って望まなければ、闇雲にデータを収集し分析したとしても、一つの結論を想定しているのでなければ分析のための分析に終始することになり、分析自体が目的化してしまうことになる。これではせっかくの分析も単なる話題提供の域を出ないものになってしまう。
論者によっては、戦略思考を強化するために仮説思考が有効であるからという理由で、仮説?分析サイクルを提唱しているのはこうした根拠によるものだが、企業経営の場合は、有効であるかどうかという問題よりも、マネジメントのサイクルが既にこの枠組み中で稼動することを前提としているというべきではないだろうか。
確かに問題解決をロジッカルな側面から捉えても同じ結論になるので、敢えて議論する必要性は見当たらないかもしれないが、経営組織にこうした思考が根付いていないとすれば、単なる手法ではなくマネジメントそのものであるという認識に立ち返るという、基本姿勢を取り戻すことが最優先課題であると思われる。
現状分析により新しい仮説を作るという言い方をすれば、至極もっともなように聞こえるが、現状分析をすることの意味を間違えてしまえば、極めて精度の低い仮説を打ち立てることになってしまう。つまり、仮説?分析サイクルが機能しているのであれば、あるべき姿との乖離幅が小さくなっていて当然なのである。
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