パイの配分論争が根本問題ではない

 有効求人倍率の上昇や完全失業率の低下が報道されるなど、景気の回復を裏づける指標が目に付くようになってきたが、これに伴いしばらく啼かず飛ばずの状態であった春闘が活発化し、賃上げを巡る論争が繰り広げられるようになった。その争点の一つになっているのが、付加価値生産性と労働分配率を巡ってのものである。
 経営側は、OECD加盟国に比べてかなり低い労働生産性を是正しなければ、労働側の主張する賃上げは難しいといい、労働側は、労働分配率の低さを問題にしている。どちらが正しいかを判定する国際基準というものがあるわけではないので、お互い言いたい放題のようにも見受けられるのが、IT化時代とのギャップを感じてしまう。
 一企業に目を転じて見ても、パイの配分を巡る火種は大なり小なり孕んでいるが、労使の知恵でこれを最小限に食い止めている中小企業もある。そうした企業の特徴は、もとより明確な根拠を示しているわけではないが、あうんの呼吸のようなものが感じられ、労使双方が、お互いを尊重している姿勢が随所に滲み出ている。
 お互いの立場を主張するのは決して恥ずべきことではないが、個別企業レベルで考えた場合、付加価値生産性が低いという現実は、労使の知恵を総動員して早急に解決策を見出さなければならない。勇気をもって点検すれば、稼働率の悪い部署やメンバーの存在が明らかになるはずなのに何故かメスを入れようとしない。
 古来我々日本人は弱いものを痛めつけること嫌い、みんなで引き上げることを美徳としてきたので、その精神は温存させるべきであるとしても、本当に弱いのか、力を出し惜しみしてただぶらさがっているだけなのか、はっきりさせなければ対応策は見つからない。私の偏見であれば幸いだが、出し惜しみは結構あるように思われる。
 経営側から言えば、付加価値額の大部分を占める労働分配率を上げることは、その分どうしても利益を圧迫することになるので、生産性の向上に跳ね返るという保証がない限り、うかつに踏み切ることができない。付加価値生産性を向上させるための労苦を惜しみながら、分配率の増加を主張するのは片手落ちのような気がする。